20150506「安い女の宴は姦しい」〜20141027
女女女。
洗濯物を干しながら、食器を洗いながら、
穏やかに自戒する・・・
女を安売りしてはならない。
さて安売りとは
わたしは性の問題に関して、
女だからどうとか、男だからどうとか、
そういう文脈で語りたいわけではない。
女性的であるとはどういうことか、男性的であるとはどういうことか、
自らの構成要素を分解してみたいだけなのだ。
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女であることを気にかけている時点でそのへんの女以上に女だし、
抵抗すればするほど重力に足をとられることはそろそろわかってきている。
だから、女について考えることは、
女として生きるということと真摯に向き合うための営みなのである・・・
うんぬん。まごうことなきうんぬん。
ただもし男に生まれていれば、
「男として生きるということと真摯に向き合う」なんてそんなこときっと考えないよね。
フシギだあ。
京芸生は8割が女の子なわけだけど、たぶんそのうちの7割くらいはジェンダーに対して何らかの問題意識を抱えていると思われる。(適当)
ゲイジュツをするということは、アイデンティティを問い直し続けるという側面があると思うのだけど
女性のアイデンティティの中に女という性が占める部分が大きいのか・・・
つまるところ
女は、人間である以前に女なのかもしれない
男は、男である以前に人間なのかもしれない
イヤーンものすごく誤解を生みそうな言い回しイヤーン!
女性は、常に定義されることを求めている。
自分がどこに存在していて、相手に対してどういう存在なのか、
確かめ続けることに対して余念がない。虚。
さて、自分が男でないことが悔しく枕をずぶずぶに濡らした思春期は終わり、
スナックで働いてみて、自分が女であることをひとつの価値として認め始めたわけですが、
受け入れることと開き直ることは似て非なるわけだけれども、
あゝ自戒・・・。
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もし、女であることを憎むならば、
それと同等かもしくはそれ以上に、女であることに救われているはずだと思う。
安売りする、というのは、女であることに溺れることを意味する。
存在価値とかそういうところに重心を置いてしまうと、そいつに足を取られる。
思考停止。
なにかがみえなくなる
大事なのはきっとそういうことじゃないんよな・・・。
自らの価値を誇示しようと躍起になること自体が、
自らの価値を貶めているということを
淡々と自覚すべきである。
優しさとはなにか。
それは、だれのためにあるものか。
改めて、姿勢を正す次第であります。
やらかくいこか~
飽きたのでおわる
特筆すべきことは、サタデーナイトフィーバーが意外としょっぱい映画だったことくらいか・・・。
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20141027
疑似恋愛というやつは、誇りを壊死させる行為であるように感じる。
思想も人格も投げうって、
人間を穴と棒だけの関係に還元する。
男と女のラブゲーム、ってやつか。
そこではすべての事象が下半身を中心に展開する。
とは言っても擬似って定義できる時点で、どちらか一方もしくは両方が、
その馬鹿らしさに気づいていて、心の奥底で自身を冷笑している場合がほとんどかな。(詠嘆)
「男は馬鹿な生き物」って言う人がいますが、
「女も馬鹿な生き物」だと思います。
というより、「男」とか「女」とかいう本能的動物的概念が、
その人自身の人格や思想(=誇り?)よりも先立ってしまった時点で、
俗に言うただの「馬鹿な生き物」になってしまう。
なんかそういうのを超えたところにあるのが本当の恋愛なんじゃないかなぁ。ってなんかしみじみと思った。本当ってなんだ。
というか、世間様が決めているであろう「恋愛」という謎の制度を自分たちが愚直に演じている事、を、自覚してみると、オモシロイ。
世に氾濫する、恋愛とよばれてるやつのほとんどは疑似恋愛なのかもしれない
べつに、変に文化的であろうとするのが良いわけでもないけど。
スナックで働いてると、色々思う所あるわけで
汚い部分とか、結構、見えたりして、うっ、てなることもあるけども、
だからこそ朝の美しさがより際立って見える。
良い意味でも悪い意味でも、生々しい「セイ(生あるいは性)」を感じます♨️