madoromism

微睡主義入門

20171208evernote / 恋とi(虚数)

行為に依存しない恋とは。

語彙に依存しない恋とは。



最近は仏教に思考が偏っているので仏教で例えると、
修行を完遂した「如来」は「愛」する存在であり、
修行の過程にいる「菩薩」は「恋」する存在なのかもしれない。

それほど、私は「恋」に対して透明な理想を傾けている。

「恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム」とMターCドレンの人が歌っていたけれど、全くその通りだと思うのだけど、
その中間地点にある、支点、摩擦しているポイントを「恋」と呼ぶならばどうだろう。(何がだろう)




思えば、人生を通じて長らく、
「恋」というものを相手に思考している気がする。

「恋愛」とひとくくりにして扱われるその関数は、
もっとも根源的で、もっとも定義が曖昧で、
にも関わらずみんながそれを曖昧なまま、素手で取り扱っている。(そして火傷している)

たとえば「LINE 既読 スルー 脈なし」なんかで検索をかけると、
恋愛に特化したバイラルメディアなんかがアホほどヒットする。
つまりは皆がそれを求めているということだけれど、
普遍化できないものを普遍化しようとすることほど浅はかな事はなく、
そこに書かれている情報の無責任さに、
わたしは><となって、そっとブラウザを閉じる・・・。





よくよく考えてみれば、
「恋」を言い表す英単語ってないんじゃないか・・・?

それってとても日本的な、デリケートで情緒的で流動的な、
「ハイコンテクスト」な概念であるように思う。
その中には「駆け引き」や「視線の絡まり」などといった要素が含まれていて、
個人的な感触で言うとなんとなく「線状」なイメージがある。こより・・・?
対して「愛」は面的、あるいは空間的なイメージ。

と思ってググってみたところ、
英語圏では、恋も愛も、基本は「Love」で表されるみたい。
どう違いを出すかというと、

▽I'm in love.(私は恋の中にいる。)
▽I love you.(私はあなたを愛している。)

というふうに用法で使い分けられるらしい。
この例文で言うと、恋の"love"のほうが空間的で、
愛の"love"のほうが線的(ベクトル的?)な感じがあるな。

しかし、どちらもけっこう一方的な感じがある・・・
「私はあなたと恋がしたい」とかは言えるんだろうか。
I want to love with you.  ・・・?
最終兵器彼女のコピーで「ぼくたちは、恋していく」っていうのがあったと思うんだけど、あれはどう訳すのかなぁ。
We are loving.   ・・・?
We will walk together to love.  ・・・?
教えてネイティブピーポー

XTCで The Lovingって曲があったな。
あれは「愛」っぽい。
XTCはいいぞ^^



とかなんとか、根本的な方向性の部分で、やはりニホンゴの「恋」と
エーゴの「love」の間には明らかな段差があることを感じる。


一方的な感情ではなく、相補的な営みとして「恋」を見た時、
それが非常に「ハイコンテクスト」であることに気づいた。(昨日。)
どうにかして以下に記述していきたいと思う。






一昨日、友人のS氏と喋っていて、
「新人類」をテーマとして扱うSF小説のあらすじを聞いた。

彼らは、たとえば葉っぱを上から落とすとして、
連続して同じところに着地させることができるらしい。
つまり、自分が手を離す位置、風の向きや葉っぱの形、軌道などを瞬時に「演算処理」して、落とす位置を認識できるのだ。

要は、情報の処理能力が旧人類に比べて異常に高く、
4次元的に物事を捉えることができる。
同じ情報を扱いながらも、
認識能力が一次元上にあるということだ。
旧人類がx,y,zでしか記述できないものを、もうひとつの次元・・・旧人類にとっては考えも及ばないような領域で記述している・・・。

ゆえに、新人類どうしでの会話は、
単語の定義に依存せず会話することができるらしい。

旧人類であるところの我々は、単語の定義に依存する。
平面的になってしまう。



私たちは恋をしているとき、
相手が発した単語を懸命に拾い集めて、
その中身を、意味を、意図するところを、
いっしょうけんめいに探ろうとしているのではないだろうか。

そこで行われているのは、情報の演算である。

その人のことを知ろうとすることは、
その人の価値体系、ものさしを捉えたい、ということだ。
ことばの中身、単語の定義。みたいもの、聴きたいもの。
欲望の演算処理、その方程式。優先順位をはじきだす電卓。
(界隈性に依存する、かも)

捉えようとするとき、そこにはしばしば、というかほとんど偏見が含まれる。
何考えてんのか全然わかんない!となったとき、
バイラルメディアに頼ってしまうこともあるだろう。

相手の発した断片を、
勝手に乱暴に組み合わせて、決めつけ、思い込み、誤解、語弊。
自分の欲する姿を押し付けてしまうことも多い。

「私と仕事どっちが大事なの?」という問いが、
男にとっていかに無意味であるか・・・( ˘ω˘)




相手の言いたいことが、正しく自分の中で繋がったとき。
相手の像を正しく認識できたとき。
パズルのピースがぱちぱちと小気味よく嵌って、
散らかっていた空間に余白ができる。

そこに流れている時間は、とても、とてもとても優しいものかもしれない。

x,y,zの次元を演算した結果立ち現れる、言語では記述できない、
言うなれば、あ、あ、iの次元・・・とか////// 寒^.^

その次元には、おそらく直接アクセス(言語によって記述)することはできない。
膨大な虚数の海。
補集合?


まだ見ぬi次元の証明。

帰納法でいくか、演繹法でいくか・・・ん、弁証法///
それは「相手を知ろうとする」という営みの中に、ほんのりと立ちのぼる嘘の連なり。。。


無知の知。


わたしたちは、何も知らない。

だから、知ろうとするのだろう・・・


ハア~~~尊。。。^.^